イトーちゃんのあたまの中

会社員2.0を目指して日々奮闘するイトーちゃんのあたまの中を公開します

【思考】弱音を吐くことは悪か|ボクが考える本当の強さ

みなさんごきげんよう

三寒四温でなかなか春らしい日がない今日この頃ですがいかがお過ごしでしょうか。今年は春がなくてすぐ夏が来るんじゃないかと踏んでいるイトーちゃんです。

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滋賀県在住会社員です

今日は最近自分と向き合う中で感じたことについて書いてみたいなと思います。なかなか自分と向き合うのは怖いけれど思うままに書いてみたので良かったら最後までお付き合いください。

 

さて今日のお題です。

 

弱さはさらけ出すべきか

今朝はこんなツイートをしました。これはボクが精一杯に弱さをさらけ出したツイートです。というのもボクは自分の弱さを見せるのが好きではないからなんです。

そして自分のそういう性格を他人にまで押しつけてしまうきらいがあります。自分が愚痴や弱音を吐くのが嫌いだから人に愚痴や弱音を吐かれるのも嫌いなんですよね。

 

昔からボクは我慢強いとか根性があると言われてきました。そしてそんな風に言われて気分良くなっている自分がいました。

だからそれが自分の中での正解でした。実際その観念に従って行動して上手くやってきたという自負もあります。勉強にしても仕事にしても人付き合いにしても。だから弱音を吐く人が嫌いでした。「頑張れ!負けんな!」と叱咤激励してきました。

類は友を呼ぶものでボクの周りはいずれそういうマッチョな人間が増えていきました。だからそれでいいんだと思って過ごしてきました。

でも、SNSでの人間関係をつくっていくうちにそうでもない人が多いんだということに気づき始めました。必ずしも叱咤激励され前に進める人ばかりではないということに気づき始めました。

多様性という言葉だけが先走っていますが本当に自分の普段生活しているクラスタ以外の世界は多様なのだと気付いたんですよね。

 

ボクが放つ少し強いめの言葉にいとも簡単に傷つく人がいること、苛立つ人がいること。そういうことを肌感覚で感じることができました。

 

ボクは自分が正解だと思っていた。でもそれって自分の価値観を他人に押しつけていることになるんだと今となって冷静に考えればわかるんですよね。ボクがとらわれている観念は「ボクは我慢しているんだからキミも我慢しろというもの」なんですよね。

 

ツイートへの反応が学びになる 

ゴキゲン藤田さんとはこのことについて以前も対話したことがあるような気がします。藤田さんはボクと違い傾聴ができる人なのだと思います。

たとえ相手がどんな人でどんなに愚痴や弱音を吐く人であっても最後までしっかりと話を聞くタイプの人です。でも藤田さんですら寄り添えないこともあるということを知り少し気が楽になりました。たかし、しっかりしなさいよ。

 

トモミンはこう言ってくれているけれどもボクはやはり聴いてあげることが優しさなんだと思います。きっと聴いてほしい、聴いてくれるだろうと思って心を開いてくれているのにこちらがその姿勢を正さないことは傲慢なのだと思います。胸襟を開いて聴く姿勢を持つことはやはり相手への敬意なのだと思います。

  

宇田さんはこう言ってくれているけれども、ボクは本当に強い人間なのだろうかと自問すれば決してそんなことはありません。そして神でもありませんw

ボクはきっと無意識的に愚痴を吐いたり弱音を吐くことが悪だという思考回路が染みついているのだと思います。だからみんながボクは強い人間のように映るんだと思うし、自分自身もそうあらねばと意識しているのだと思います。 これ自体はボクは決して悪いことだと思っていなくてそのおかげで自分のマインドを保てているんだと思います。

ただそれを他の人に同じように求めるのが間違っているということ。

  

Kayoさんのこの引用には救われる気がしました。愚痴や弱音を聞かないのも優しさ。そう捉えることができるのは彼女の友達が日常からそう感じさせるに足る振る舞いや行動をしているということが前提にあるのだと思います。信頼があればそういう関係性が活きてくるのではないかと思います。だから時には突き放すようなことを言うのも信頼関係があってこそなのではないでしょうか。

 

ちびぃの言うこともなるほどなあと思う。ボクはただただ根性論を持ち出して弱音を吐くなという勢いで言っちゃいがちだけれども、弱音や愚痴を吐く人が慰めて欲しいとかじゃなくただただ現状を打破したいともがいている状態なのかもしれない。そのプラスのもがきを上から潰すような根性論は毒でしかないと思います。だからもがいて前に進む人は全力で肯定すべきなのだと思う。これは上っ面な慰めとかではなく肯定ですね。

 

これも悩み聞き屋のじゅんちゃんならではの意見。本当に聞いてくれることを求めている人はたくさんいるのだと思います。少しでも聞いてもらえるだけで前向きになれたり肯定的になれたりするのであれば、こういう聴くこと好きな人は貴重な存在なのだと思います。マジで需要と供給。これが合致する時に人間関係は満たされるのかもしれないですね。

 

ボクのツイートでたくさんの意見やアドバイスをもらいました。自分一人で考えていたらわからないことも別の人の目線では全く違うものになったりする。

これはSNSで内面を打ち明けることで得ることのできる最大の恩恵だと思います。他者の視点を持って自分を省みることができればまた違う自分が発見できます。本当にありがたい。

 

弱さは成長のために晒せばいい

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ボクは今回弱さを認められない弱さを晒しました。そのことでたくさんの人から学びを得ることができました。

今までのボクはそんなことを感じたとしても自分の中で自分に納得のいっていない部分にも目を瞑り自分と向き合うことから逃げていました。

ボクが愚痴や弱音を嫌う理由はボクが愚痴や弱音を吐くほどの壁にぶつかっていないからなのだと思います。つまり挑戦するハードルが高くないからです。弱音が出るほどまで本気でぶつかれていないのかもしれません。

そんなボクにSNSで付き合う多様な人たちが教えてくれるのは弱さをさらけ出すことの強さです。

 

ただただ袋小路に迷い込むようなことや他人の悪口なんかを人に聞かせることは本当に他者目線に欠けたことであってボクは容赦なく否定します。ボクだってそんなことに立ち会っているほどの時間はありません。

 

けれどボクの周りではその人なりに大きなことをなそうと挑戦する中で壁にぶち当たってもがいている姿を多く見受けます。もしも彼らがその壁の高さに絶句して、それについて弱音を吐くことがあればそれに対しては寛容でありたいと思います。その人が壁を乗り越えるための助走だと捉えたい。

何よりそういう風に弱さを見せながらも挑戦し続ける人はこの上なく強い人なのだと思います。その人の一生懸命にもがく姿やひたむきに汗をかく姿勢に対してリスペクトを払い精一杯の労いの言葉を掛けたい。

 

ボクは決して優しくてできた人間ではないけれども、こんな風に人と関わり人に諭されながら少しずつでも寛容で器の大きな人間になっていきたいと思います。