みなさん、ごきげんよう。
今日は日帰りで金沢出張。電車の中でゆっくりと隙間時間を使えてご満悦です。やっぱり電車通勤は良いよなあ。
サンダーバードの車窓から
さて今日はボクが属しているオンラインサロン「わいざんオンラインサロン」のオーナーわいざんがこんなツイートをしていた。
好かれるべき人にとことん好かれて嫌われるべき人にはとことん嫌われよう。人間なんだから当たり前の話じゃないですか。そこを変に取り繕うとおかしなことになるんですよ。こちらからわざわざ嫌う必要はないですけどね。#yzan思考
— わいざん|日本一周なう(次は16日から) (@yzan_travel) 2018年11月22日
自分らしく発信を続けることによって求心力を持っているわいざん。
だからこそ嫌われる人にはとことん嫌われているそうです。でもそれに怖気付かず取り繕わずに自分を発信しています。むしろ彼は離れていってくれた人に感謝すらするそうです。
まあ確かにそういう人たちが離れていくことで彼を好きな人に彼が使う時間やエネルギーが増えるわけですからね。
守破離を意識していたい
ボクも人生論、SNSの使い方、ブログの書き方など色々な人のセミナーに行ったりコミュニティに属したりしてその主催者からの学びを得てきました。
その度に感じるのは守破離の大切さです。
ボクも守破離という言葉を知ったのはほんの最近のことです。
もとは千利休の訓をまとめた「利休道歌」の一つにある、「規矩作法 守り尽くして破るとも離るるとても本を忘るな」を引用したものとされている。
まずは師匠に言われたこと、型を「守る」ところから修行が始まる。その後、その型を自分と照らし合わせて研究することにより、自分に合った、より良いと思われる型をつくることにより既存の型を「破る」。
最終的には師匠の型、そして自分自身が造り出した型の上に立脚した個人は、自分自身と技についてよく理解しているため、型から自由になり、型から「離れ」て自在になることができる。
武道等において、新たな流派が生まれるのはこのためである。
守:支援のもとに作業を遂行できる(半人前)。 ~ 自律的に作業を遂行できる(1人前)。
破:作業を分析し改善・改良できる(1.5人前)。
離:新たな知識(技術)を開発できる(創造者)。
(引用元:守破離 - Wikipedia)
師となる人から学びその道を極めようと努力するのはすごく大切なことで一人前になるまでは師事して師匠からしっかりと学ぶ必要があります。
でもいつまでもその一人の師匠にどっぷりと浸かっていては絶対にその師匠を越えることはできません。
師匠からの学びを十分に得たという段階で勇気を持って師匠から離れてその道をさらに改善・改良していくことが道を極めるということです。
さらにその経験からイノベーションを起こすことができればそれはすでに師匠を超えていてはじめてそこから新たな道を創ることができる。
そういった意味合いの言葉なんですよね。
確かに師を大切にし学びを得ることは大切ですがいつまでも師に寄りかかっていてはそれ以上の成長はできません。
だからボクはある程度学びを十分に得られたと思ったら離れて自分に落とし込んでいくことが多いのです。
学んだことと自分の個性を掛け合わせることでオリジナリティは生まれます。
とにかく自分の想像力を働かせてそれ以上学びにならないと感じれば離れるべきなのだとボクは思います。
その人の立場になってみないとわからないことはたくさんある。だから自分の目標とする人がよくわかんないことを言ってたら死ぬほど想像してみるといい。「なんでそんなこと言ってるんだろうな」って。多分わかんないと思うけど想像することが大事。それがないといつまでも変化はない。#yzan思考
— わいざん|日本一周なう(次は16日から) (@yzan_travel) 2018年11月10日
馴れ合いは何も生まない
ボクが属してきたコミュニティの中でボクが魅力を感じなくなるコミュニティはだいたい二つのパターンに分かれていきます。
一つは馴れ合いが蔓延するコミュニティです。
誰かが誰かを慰め誰かが誰かに甘えるようなコミュニティには自分を成長できるような刺激や学びはもはやないのだと思います。
決して単なる仲良しクラブではいけないのだと思います。
誰かが誰かに依存するような関係性は結局自分以外の誰かに期待することになるのでその期待に沿わない場合は失望しか残るものはないのだと思います。
もう一つは同調圧力が蔓延する閉塞感あるコミュニティです。
カリスマ的な誰かが強い権力を持ちそれに逆らうような行動をしたり考え方を持った人を集団で糾弾したり、「アイツとは付き合うな」というような情報を本人に見えないところで回し合うようなコミュニティです。
これはもはや末期状態で絶対にそれ以上に学びも成長もなく結局その権力を持つ人をさらに増長させることだけに終始することになります。
そういうコミュニティにいると自分の時間やエネルギーを無駄に浪費したり吸い取られてしまったりします。
同調圧力の恐ろしさはそこから離れると全てを失うような錯覚に陥ったりすることもあることです。同調圧力は思考停止作用も相まって人を苦しめるのです。
もしもそういうコミュニティにいるのならば絶対に離れた方がいいのだと思います。あなたがアイデンティティを感じられるような可能性のあるコミュニティは世の中にはいくらでもあるのです。
もし #わいざんサロン メンバーが、ぼくが誰かと意見がぶつかった時に右ならえでその人を攻撃するような人たちだったら、恐ろしくて自分を通すことは難しくなるだろう。そこはそれとして、それぞれの関係性を生きてるのが非常にありがたい。裏であいつとは付き合うなとかやってるコミュニティは論外。
— わいざん|日本一周なう(次は16日から) (@yzan_travel) 2018年11月14日
人生出会う人は全て師である
先に書いたようにボクは色々な人から学びを受けてきました。
その中にはとても尊敬できて能力の高い人がいますしその人たちの考え方ややり方を模倣してきたしそれ自体が今のボクの考え方や生き方を形作っています。
それと同時にボクのことを批判する人やボクが尊敬できない人からも学びを得ています。
感情的にならずに自分の思考力と想像力を働かせるとそういう自分にとって一見敵対するような攻撃的な考え方を持っている人でさえ学びを与えてくれているんですよね。
反面教師という言葉があります。
こうはならないでおこうと気づかせてくれるだけでその存在ですら感謝の対象になってくるんですよね。
#彦根 からおはようございます
— イトーちゃん (@SOMASOMA0416) 2017年9月15日
出会う人皆人生の師。批判する人はある意味自分への助言をくれている。尊敬できない人はそうはなるなと教えてくれている。自分の考え方を変えれば関わる全ての人は先生になります。人との関わりに意味を見い出していきたいものです。#苦手でも関わり方で自己成長
ボクが今属しているわいざんオンラインサロンは本当に面白い。
主催のわいざんは有名といえば有名だけれどもキングコング西野さんほどは突き抜けていないしマスではない。
だからこそメンバーは一人のカリスマに対して臣従するような関係性ではなくてイーブンに接することができます。
誰もが彼を独り占めしようなんて思わないから内輪揉めも派閥も発生しません。
何ごともトップダウンで「あの人がいうなら」という形で思考停止することなく議論が発生するし、反論する人にも同調圧力は一切起こらず一人一人の意見が尊重される。
本当に絶妙なバランスで運営されているんですよね。
というよりそういう風に設計されていると言ったほうがいいですね。
たくさんの学びが得られる球体型のコミュニティ。
ますますこれからが楽しみで仕方ない。
新参も古参もなく一人一人が主役のコミュニティと言えるでしょう。
ボクらはそんなコミュニティの一員になってくれる仲間を待っています。
今日お伝えしたいことは以上です。
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